九州一周旅行6 熊本編(2)

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飯田丸

特別公開南口から入り、特別公開南ルート(特別見学通路で陸橋となっています)をそのまま進むと、右手に「飯田丸」が見えるはずですが、見る影もありませんでした。ここは、2016年熊本地震で、飯田丸五階櫓石垣の一部が崩落、南東部隅石のみで櫓を支えた状態であったので「奇跡の一本石垣」と呼ばれました。テレビの報道で目にした人が多いのでなないでしょうか。現在、飯田丸五階櫓や石垣は解体され保管されています。

数寄屋丸二階御広間

熊本地震により数寄屋丸二階御広間の下部の石垣が一部崩落していました。

二様の石垣

次に進むと、南ルートの目玉、「二様の石垣」があります。ここは、必ず見て下さい。絶対外せません。加藤清正が、近江国から率いた石工集団穴太衆がもつ特殊技術を駆使して造られた石垣で右側のゆるやかな穴太積です。左側の細川時代の急こう配な算木積と言われていましたが、近年の研究では清正の息子忠広が築いたとされています。

闇がり通路

本丸御殿が見えてきますが、御殿の下へ案内する通路があり、そのまま進むと闇がり通路があります。石垣を跨ぐように建てられた本丸御殿は、藩主の政務等が執られた建物で建物の床下に「闇がり通路」が存在しています。このような場所は珍しいので必見ですよ。

天守閣

闇がり通路を横目に進んでいくと、いよいよ「天守閣」です。天守閣は、大天守3重6階、小天守2重4階で1877年の西南戦争で焼失したため1960年に再建(鉄骨鉄筋コンクリート造り)されました。また、熊本地震では、瓦の落下、石垣の崩落等被害を受けましたが、令和3年に復旧していますので、御覧になれます。

また、熊本城の石垣は、反りが見事なことから「武者返し」といわれ、1599年頃に築かれた大天守と1612年以降に築かれた小天守で異なる特徴を持っています。

大天守の石垣は、勾配は根本が緩やかで石垣の中ほどから大きく反りあがる独特の形に対して、小天守の石垣は、勾配は根本から急角度で少しずつ反り返るのが特徴です。

天守閣の内部は、加藤清正の城づくりや町づくりについての映像等での体感、甲冑や火縄銃のレプリカ見られるほか、6階の展望フロアでは熊本市街地が一望できますので、360度の眺めをお薦めします。

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